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Posted by naturum at

2015年08月23日

両古美山・当丸山登山

一日体があいた7月10日平日、ちょっと山に登りに行ってきた。

神恵内村の当丸峠から登る、両古美山と当丸山。あまりに短時間で登れるらしいので、二つ登ることにした。

ドラマ「極北クライマー」で、院長が自動車事故を起こしたロケ現場が、この当丸峠だったらしい。ああ、そういえば覆道になってたよな。
古平町から上がり、その覆道に入ってから少し下ると(確か)、左手に外に出られる場所がある。そこから道を上がっていくと、なにやら展望台のようなところに出た。




ログ造りの休憩所とトイレ。作られてからしばらくたったようで、使われている感じではなく、単にさびれていった古さがある。水は止められているので、給水はできない。トイレの汚さときたら、もう。積丹岳のトイレでも思ったが、登山者は、無料のトイレの使い方に無頓着すぎないだろうか。

まずは、峠道北側の両古美山から。覆道の上を越える歩道橋を下る。




その先に、通路、階段を終えると、明確な道があるわけではない。親切に表示があるので、しばらくは覆道に沿って踏み固められた小道を進む。するとアスファルトのちょっとした広場に出る(シェルターを付ける前の旧道らしい)。そこから木立のほうに目を転じると、草が茂っているとわかりづらい登山道入り口の表示がある。


軽い道かと考えていたが、いきなりとっぽんとはまるくらいのぬかるみがあった。すぐに細く急勾配で滑りやすい道が始まり、意外に足下の装備はきちんとしておかなければならない。ミッドカットでグリップのよいソールの靴が安心。子どもの登山には、安心できない。
あまり展望のきかない山だが、途中で山頂あたりが見えた。実は、岩場は山頂ではなく手前に過ぎず、最高点は木立に埋もれているというがっかりさなのだが。


緑が濃く、森の匂いが心地よい。道の脇には様々な植物が茂り、コケモモが覆う。すぐ近くまで笹やらが伸びているので、半袖だと腕に障る。

朽ちた表示が木にもたれかかっていた。眺めがよく、神恵内の海が青く輝く。



急登はほんの最初だけで、後はスムーズに高度を上げていく。
途中、ハエマツの間を歩き、岩場をいくつか越すが、まだ山頂ではない。



そうして次の岩場に行こうかとしたら下り始めたので、山頂を過ぎたらしいことに気がつく。戻ると、茂みの中に、柱が朽ちた山頂表示があった。何も眺望はない。


先ほどの眺めのいい岩場に戻り休憩する。短時間の休憩なので、今回はコーヒーなどコンロの用意はしなかった。
おやつとして、今回初めてきびだんごを選んでみた。岡山などで想像されるきびだんごとは全く違う、あんや米で作られた北海道独自の物。ねっとりと糖分が多く歯ごたえのある、いかにも腹持ちの良さそうな半練りスティックである。ちょっとべたつくのでオブラートに包まれているが、北海道の夏山程度では溶けない。スニッカーズも好きなのだが、夏のチョコレートは溶け出すので難儀する。このきびだんごは大丈夫。後味がよくさっぱりとして、飲み物も飲み下しやすい。今後の携行おやつに決定だ。



下る途中、向かいに次の当丸山が見えた。両古美山は登り1時間、下り45分ほど。

駐車場に戻るが、当丸山の登山道は休憩所そばではない。下にも駐車場があるのだが、その向かいに表示がある。



最初から、ずっと登り続ける。それにしても草が多い。道幅が広いのは、ブルドーザーで整備したからだろうか。そういえば、ここは神恵内2000年の森だか、整備された公園のようだから、重機が入ったのかもしれない。
しかしあまりに草が茂りすぎ、道と崖の区別がつかない。すぐ横は地面がないのだがわかりにくく、うっかりよろけたら思いがけず転落するだろう。油断ならない登山道で、ここは初心者や子どもなんかつれてこれないな。



作業にともなうゴミがやたらと捨ててある。夏の草刈りなんて水分は必須だが、コップなんか持ち帰っていられないんだろう。役場の担当者は、こんな登山道の現状を知っているだろうか。

途中、眼下に沼が垣間見える。


山頂は木立がなく、ぐるりと見渡せる。しかしなにぶん800m台だし、夏の湿度のかすみで遠くまでは見えず、今ひとつの眺め。両古美山ほど登りに時間はかからなかったし、水分をとるとさっさと下った。


せっかくなので麓の沼をまわるコースを下ることにしたのだが、なんと途中で登山道が崩落。下りることはできても、登るのは難しいのではないか(草むらはすぐ崖だし)。草刈りよりも、この修復が先ではないのか。繰り返すが、役場の担当者は、こんな登山道の現状を知っているだろうか。


そうして勾配のない、沼周遊のコースらしき道に入る。湿原の中の道のように、木道が整備されていたらしい。草藪が生い茂り、沼など全く見えないぬかるみだらけの道を、足下だけに注意をはらいつつ歩く。楽しくはない。


すでに朽ち果てた木道が数カ所で水没し、普通の靴では歩き通せない周遊路になっているからなのだ。これは、周遊路と言えるのだろうか。重ねて言いたい。役場の担当者は、こんな登山道、周遊路の現状を知っているだろうか。



表示に従って、大きな沼に出る。湿原らしからぬ草が生い茂るつまらぬ眺め。かつては東屋があったらしい、コンクリートのべた基礎だけが、産業遺産のように残っていた。相当な雪害にやられたのだろうか。火遊びとか。そばで、草刈りの業者らしきトラックが止まっていた。


駐車場へ行く、というコースを通って帰路につくことにする。無駄に山坂の多い、造山道のような道をひたすら歩く。


道ばたには、朽ちたベンチが倒れていた。どちらの山も、朽ちた遺跡を歩いているような気分になる。


一人旅が好きなのは、一人自問自答する時間がたっぷりあるからだ。
当丸山を歩きながら考えていたのは、ローマ街道のことだった。なぜあの道はあんなにぼこぼこなのに、街道として往来があったというのだろうと子どもの頃は思っていたのだが、塩野七生の「ローマ人の物語」を読んでいてその疑問は氷解した。
整備しなければ、どんな物も朽ちるのだ。ローマ街道の敷石は、なんと30cmの厚みがあったという。帝国が機能していれば、もちろんメンテナンスが行き届いていたのだろう。帝国中の街道のインフラのメンテナンスだけでも莫大な労力、組織力、資金が必要だっただろう。
帝国崩壊とともに、インフラ整備が止まったとたん、すべてが朽ち果て始めたのか。それが現在の姿なのだろう。
何事も作るはいいが、メンテナンスと活用の断固たる意志は、現在我が国にあるのか。朽ちる素材で造りながら、朽ちるに任せるとはどういう長期展望なのか。
「新しい物は作らない、いらない!そのかわり、今ある物をしっかり整備する!」という地味な決断をするトップがいても、民衆受けは悪いかもしれないが、すでにある物を固めていくことは、確実に強固なものになり安心だ。ソフトもハードも。新規事業に劣らぬ大変な作業コストになるだろうに。変える必要のないものは変えない、保守的な人間はそう考えるはずなのだが。

などと、朽ちる一方の周遊路を回りながらつらつら考えていた。当丸山の登りは50分、下りは大沼周りで1時間。
いささか暗澹たる気分で峠を下り、古平温泉につかり、港寿司で旬のウニ丼を食べて帰路についた。  

Posted by 伊達直人 at 06:13Comments(0)フィールド

2015年08月22日

誰がために鐘は鳴る

誰かを喜ばすために続けているのではなく、自分の備忘録としての成り立ちにすぎないのがこのブログ。

ふっと、力が抜けて十数ヶ月。またやる気が出てきました。
いつも巡回にきていた方々、すみませんね。



伊達直人 拝
  

Posted by 伊達直人 at 22:00Comments(2)