ナチュログ管理画面 キャンプ キャンプ 北海道・東北 アウトドア&フィッシングナチュラムアウトドア用品お買い得情報

2012年09月03日

1991年の夏

今回は、あの歴史的大事件の印象が残っている人でないと、へー、で終わるんだが。

このシャツは、モスクワであのクーデターが起きる直前、ぎりぎりソ連時代にお上りさんのように買った物だ。

1991年の夏

今も大事にとっているのだが、もう決してロシアでは手に入らないだろうから。
決して、CO-OPではない。CCCPである。
クリント・イーストウッド主演の「ファイヤーフォックス」を見たときは、「なんで生協て書いてあるの?」と話題になった物である。

1991年の夏

ロシア語風にいうと、エス・エス・エス・エルである。ソビエト・ソーシャル・...リパブリックとかいうんだろうな。

ソビエト社会主義共和国連邦のものである。

ちなみにルーブル紙幣は、外国人は持ち出し禁止だったため手元には残っていないが、カペイカ硬貨は幾枚か残っている。

さて あの夏、エリツィンが戦車に仁王立ちして騒動を鎮めた後のめまぐるしさと、クレムリンからソ連邦の国旗が降ろされ、ゴルバチョフが幕を引いた演説の姿は、感無量だった。

翌年、空港にはもはや垢抜けない土産ものなどはなくなり、ちょっと洒落た物に様変わりしていたのを見たとき、これが社会主義の終焉か、と実感したものである。

商魂たくましい、庶民の台頭である。
たとえば、ソ連時代の素朴なマトリョーシカと、最近のものを比べると、こうだ。プーチン大統領時代のものである。

1991年の夏

ソ連人というのはドイツ人並に鼻持ちならないと感じた瞬間があったが、ロシア人一人ひとりは、素朴で思いやりが有り、いい人だった。風景も似たような物だったからか、北海道人としてのシンパシーは多分に色濃い。もう今じゃ、全然別なんだろうな。

ロシアを僕は愛している。だが、「政治のプロパガンダ」という嫌らしい手法を国家ぐるみでやっていたのもロシアである。
80年代、大きな駅や空港には、こうしたプロパガンダ本が置いてあり、自由に持ち帰れた(そんなもの持ち帰るロシア人はいない)。

1991年の夏

レーニンの「4月テーゼ」もあった。
ブレジネフ政権は末期で、民意はもう留めようがなくなってきていた頃の出版物だ。

どうしてこんなにロシア好きかというと、きっと幼児体験が大きい。

冬に家族で帰宅し、ストーブで居間が暖まるまで、母はコートの中に僕を入れて、「ポルシカ・ポーレ」をハミングしてくれたものだ。
歌詞は“緑 もえーるー”と初夏の爽やかな大地の風景なのだが、そのこともあって、僕にはまるで「ドクトル・ジバゴ」のシベリア逃避行にぴったりの躍動感を感じてしまい、冬になるとこの歌を思い出す。

1991年の夏

以上、80年代から90年代までの、激変のロシアネタでした。





同じカテゴリー(旅行)の記事画像
今年は寒くなりそうな
「青いターバンの少女」とは何なのか
そうだ、絵を見に行こう
積丹の宿
多国籍軍
定山渓ホテル、クリスマスにて
同じカテゴリー(旅行)の記事
 今年は寒くなりそうな (2015-10-24 04:44)
 「青いターバンの少女」とは何なのか (2013-03-20 22:28)
 そうだ、絵を見に行こう (2013-02-10 21:46)
 積丹の宿 (2012-12-01 15:33)
 多国籍軍 (2012-08-06 18:15)
 定山渓ホテル、クリスマスにて (2012-03-19 04:33)

Posted by 伊達直人 at 14:50│Comments(4)旅行
この記事へのコメント
伊達直人さん、こんばんは♪

ファイヤーフォックス懐かしいですね。
こんな形でしたっけ?
空気抵抗ありそう機体でとてもマッハ3なんて出そうも無いですね。

ソ連が崩壊した時に経済支援と引き換えに北方4島を貰えば良かったのにと今でも思います。
そうすれば択捉島でイトウ釣り放題だったかもしれません・・・妄想に履いていますが。
Posted by Gian at 2012年09月04日 21:49
プーチンのマトリョーシカ!!

芯まで全部プーチンなのでしょうか?!

それとも、もしやメドベージェフなんかも出てくるのでしょうか?
これ、外国向けのお土産品ですか?


ソ連の崩壊について、私は詳しく知りませんが、あの少し前、「○○物産展」みたいな怪しげな輸入品叩き売りイベントで、シベリア辺りから掘り出されたらしいマストドン・アイボリーが安く売られていました。
切れ端で作ったブローチが一個1000円で、思わず買っちゃったのですが、裏に貼付けただけの金具の安っぽさが実にうら寂しくて・・・

あれは前兆だったんだなあ、と、後でしみじみ思ったものです。


変な輸出品といえば、中国から恐竜の卵の化石がたくさん放出されたこともありましたが、あれは何の前兆だったのか・・・
Posted by かから at 2012年09月04日 23:28
>Gianさん
おそらく僕と同じ年の生まれだろうな、と思うので、中学生だった頃、レーガン、ブレジネフの冷戦最高潮の雰囲気がわかると思います。

ファイヤーフォックスのシステムは思考を読み取るシステムで、ロシア語で考えないとまるで動いてくれなかった、というものでしたね。
80年代はこのシステムは結構真剣に開発されていたのか、早川文庫から再版された「A-10奪還チーム 出動せよ!」で東独領内におびき出されたA-10も同じシステムでした。

サハリンもトラウトとかすごいらしいのですが、北海道と地勢的には同じなので、アンモナイトがごろごろ採れます。国後、択捉も採れるんじゃないかなあ。
Posted by 伊達直人伊達直人 at 2012年09月05日 15:13
>かからさん

プーチンのマトリョーシカは現地で買った物です。
大統領1期目の頃かな。
そういえば中身はどうだったか、久しぶりに開けてみました。

すると...次回画像も出しますね。

ソ連製の物は質が悪かったです。末期とか関係なく。王冠で封をしたジュースを持ち帰ったら、瓶ががたがたでジュースが漏れていたということもあります。

一時、象牙が品薄で、シベリアのマンモスで印鑑を作ることになりそうだ、という話もありましたね。今はどうなんだろう。

中国では最近、新しい化石がばんばん発見されていて、恐竜羽毛説を裏付けるいい標本が出てますよ。きっと、化石は売れる、ということに現地の人達は気づいたのでしょう。
ちなみに、漢方で言うところの「竜骨」は恐竜の化石かもしれないそうです。乾燥したモンゴル近くでは、冬虫夏草のように採れるのかもしれませんね。
卵も、モンゴル方面で発見されていますが、売るほどあるとは...。一つ欲しいなあ。
Posted by 伊達直人伊達直人 at 2012年09月05日 15:26
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
1991年の夏
    コメント(4)