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2013年07月17日

富良野観光キャンプ

上富良野町日の出公園オートキャンプ場



富良野はラベンダーシーズン!
と思って上富良野町に行ったが、こんな感じ。これは、日の出公園オートキャンプ場の頂上から裏の眺め。

う~ん。
しかしとっくに観光シーズンには入っているので、「星に手が届く丘キャンプ場」などは、ネット予約で満員。
そちらでは、仕方なくサフォークのジンギスカン¥950を食べたのだった(1人前。もう1枚追加してしまった)。サシが入っていて、旨いこと。

 

追記;

このキャンプ場はオートに全く魅力がなかったので、駐車スペースからすぐのフリーサイト利用。大人¥500。
虫がほとんどいません。芝維持のため、相当に薬をまいているのだろう。子どもは全く楽しめない。
管理棟は便利至極。清潔。シャワー、コインランドリーあり。ビールなど、売店充実。
ゴミを分別して受け入れてくれるのが最も魅力的。連泊旅の際に、ここを入れておくといいだろう。

しかし、たき火台であっても薪使用厳禁。「宅地が近いため消防法が」と言うが、周りは畑だし、単なる言い訳だろう。どんな薪の使用を想定しているんだ?たき火台で使う薪が、どれほどの火の粉をどこまで飛び散らすというのだろう?芝養生命という、つまらないキャンプ場なのだった。
温泉は、すぐのところにフラヌイ温泉大人¥600あり。なぜか冷泉になってしまったという。沸かしている湯船にみんな浸かることになるのだが、ちゃんと清掃していないのかカスが漂う。



  

Posted by 伊達直人 at 06:56Comments(4)キャンプ場

2013年07月07日

いつものウニキャンプ

美国小泊海岸

6/29、仕事を切り上げてキャンプへと車を走らせた。荷物は前日に仕込み済みで、当日の朝は木こりのローソク一式を積んだくらい。まっすぐに行くのだ。
積丹町まで2時間だ。

ただ、そういえば花を贈ってなかったな、と思い出した平八さんや喫茶うめもとに持って行くのに、花屋に寄った。


親切に車まで一つ持ってきてくれた花やさんは、屋根のない車を見て、「こいつ痴れ者?」と思った様子がありあり。強い日の光を避けるため紙をかけたが、風にあおられるではないか!?と。
いや、タルガトップは意外に風が入らないんですよ。完全オープンだとタバコは灰が飛び散って吸ってられないけど、後ろが覆われているとそうそう肩から下には巻き込みは少ないのです。大丈夫なんです。

そうして積丹町・美国に着いて、まずは花を配り、急いでテントを立てた。


6月の割に、以外に人が多い。やはり翌日は「積丹味覚祭り」だからだろう。駐車場不足になるので、前日から入って朝食を取りがてら海産物を味わうのがいい。
ちなみに翌朝、いつものようになし崩し的に8時から始まる会場で、ツブを食べ、ウニを6カップ、エビを4箱買って帰った。ポルシェのトランクは結構余裕があるな、と見直した。

たき火の用意をして、6時にはふじ鮨に行く。



新鮮なウニを堪能し、平八でテイクアウトした肴を提げて、早めに戻ってたき火を満喫する。



やはり木こりのローソクは、炎が高く上がって、見栄えがするな。

すっきりとした青空。車の運転に専念する数時間。
それまでの苛立つ事々は、つまらぬ些事とぬぐい去られていったのだった。
  

Posted by 伊達直人 at 21:52Comments(0)キャンプ場

2013年06月23日

さあ、シーズンイン

木こりのローソク加工

すっかりスマホのゲームで忙しい。

山菜シーズンが一段落し(この後、ハスカップがあるのだ)、ようやくキャンプだ。

ということで、木こりのロウソクを用意した。



ちょっとまだ含水が多いものもあるのだが、燃料投下でなんとかなるだろう。

まずは今週末、いつもの積丹に行く予定。流木がなくても、これさえあれば十分。  

Posted by 伊達直人 at 16:43Comments(2)フィールド

2013年03月20日

「青いターバンの少女」とは何なのか

フェルメールの絵については、ファンらが既に語り尽くしていると思うので、手垢のついたようなことは今更述べたくはない。
また、学際的な本は読んでいないので、細部にまで行き届かせるつもりもない。
なぜ描かれたか、モデルは誰なのかは、映画で推理されている通りで、十分納得できるので、まああんな感じじゃないだろうか。
それより、どんな意味を持って描かれたのか、なぜグッとくるのか、が何年も気になって仕方ない。



実際にあの「青いターバンの少女」を、他のオランダ絵画が展示されている中で、あのサイズの絵を見たことで、ちょっと考えが変わってきたこともある。
この2か月ずっと、あれは何なのだろう?と思いを巡らせていたのだが、そろそろまとめておきたい。

サイズ
でかい。少女単体のバストアップという、珍しい題材の割に、結構大きい画面だ。
ちょっとした衝撃だった。実際のサイズに驚いた作品は、今まで2つある。
クリムトの「海蛇」が半紙のようなサイズだったのは、逆に宝飾品のような輝きを溢れさせていた。ダリの「燃えるキリン」はハガキより一回り大きいだけの小品だったが、ふと思いついたイメージをまとめた率意のような瑞々しさと、意外な奥行きを感じた。
この絵は、ダヴィンチが生涯持ち歩いて筆を入れ続けた「モナリザ」と、似たようなサイズなのである。
もしかして、画家がふと肖像画を描こうとしたときに、手にしたくなる画布のサイズなのではないか。



同じく神戸に展示されたハルスの肖像画は、ほとんどが小振りだ。依頼品なわけだから、顔さえよくわかればいいので依頼主たちは大きなサイズを欲していなかったのだろう。
この絵は、依頼品ではないのではないだろうか。

結 構
これがまず珍しく、日本人の心をくすぐったと思う。“少女単体のバストアップ”なのだが、そういう美人画は、日本画で我々は見慣れているのである。
この絵は、宗教的なモチーフや、暗喩の物品を全く含んでいない、我々日本人に馴染みのある純粋な美人画の範疇に入っているのである。
しかも正面から捉えたのではなく、ちょっと横からでひねりが入っている。これによってモデルに、アジア人好みのS字曲線のたわみも発生している。“柳腰”を連想させるそのくねりが、我々の好みと合ったのだろう。

しかも背景がない。あれほど緻密に室内を描き込むフェルメールにしては、全く触れていないのである。その画面構成は、これまた日本画を通して、我々には馴染みの画面なのである。
西洋画の技術で描かれた日本画、といった雰囲気が、親しみやすかったのだろう。

竹久夢二の絵とも通じる雰囲気がある。首をかしげたような構図もそうだが、ちょっと開いた唇も。
思わせぶりに、何か表情を持つ口元が、この絵で最も目を惹くのだが、夢二もまた、多くの絵でちょっとつぶやくような描き方をしている。そうした“何気ない一瞬”のような雰囲気がいいのだろう。
さらに、我が国はアニメ・マンガの文化の国である。こうした“少女単体のバストアップ”という構図のイラストは、ますます見慣れている構図なのだ。大正の竹久夢二から現代に至るまで、知らず知らずのうちに、我々はこうした構図の絵に安心感が作られてきたのかもしれない。

この構図の肖像画を、フェルメールは描いている。それはおそらく依頼を受けた作品のようで、衣装や色彩、小道具は、肖像画として驚くことのない範囲に収まったものであり、どこかの美術館で見かけても、よくわからずに通り過ぎてしまうような無難なものである。

色 彩
ターバンの青と肩衣の黄。この組み合わせは、かなりきれいである。ラピスラズリの輝きであれば、当時は目の覚めるようなコントラストだっただろう。
だが、17世紀半ばのオランダで、そんな鮮やかな色彩に彩られた肖像画など、作法から外れていただろう。
何より、フェルメールの描いた物の中で、そんな大胆かつ少ない色彩の作品は、これ一つしかない。
いや、フェルメール作品においては、黄色や青い衣服は後半によく見られ、おそらく本人の好む色彩だったのだと思う(誰も言っていないが)。
だが、この肖像画での大量の青と黄の比率は、当時としては画期的、野心的な画面である。

マネの「ピッコロを吹く少年」に、何か通じるものがある。
あの作品は、灰色の背景、黒い上着の中で、赤いパンタロンが空間を締めている、赤が重要な比率の色彩だ。意外に大きな作品、間近で見ると意外にラフなタッチ、というのも似ている。
マネは、この少女の絵を見ているのではないだろうか。

4世紀北魏時代の石窟芸術。青と赤に彩られた眷属が飛翔する天井は、躍動に満ちている。荒々しいのだが、その躍動する様式美は、その後中国にはついに顕れることがなかった。
S字にたわむ肉体を彩る2色のコントラストは、ここにも通じるものを感じる。洋の東西で、芸術の感性は同じ美を嗅ぎ当てるのだろうか。

青と黄、この色の組み合わせ、画面を占める色使いは、フェルメールが画家として試してみたいと思っていたのではないか?

衣 装
中東のエキゾチックな風俗、というのはよくあるモチーフだ。この少女の衣装は、もちろんオランダ風ではない。ターバンや肩衣風の布の纏い方など、アジア的である。
オランダ人には相当にエキゾチックだが、この胸元の布の襞加減が、和服の襟元のようでこれまた日本人には違和感がないというのも、親しみやすさではないだろうか。

なぜこんな衣装を選んだのか?
青と黄を大きく生かす布の使い方として、この衣装はうってつけだと思う。顧客であろう、オランダ中流子女の服装にはあり得ない色彩だ。
今一つ踏み込んで言えば、“コスプレ”の肖像画を描きたかったのではないだろうか?
当時の画家たちは、様々な小道具、大道具を、制作する絵画に描き込む資料として手元に集めていた。「こんな衣装も私の所にありますよ、こんな絵も描けますよ」という意味があったのではないだろうか?

モデル
モデルの体といえば、顔しかないのだが、大きな画面の割には意外に描き込んでいない。何となくのっぺりとした印象である。乳製品をふんだんに摂取しているオランダ人のごつごつとした立体感がない。
そのバタ臭くなくこざっぱりとしたところが、妙に無国籍で、我々の嗜好にすんなりと入ってくるのである。
だが、なぜ仕上げを施さなかったのか?

ゴッホの「星空のカフェ」も、青と黄の対比が際立つ、もうそのためのモチーフなのではないかという作品である。実際に見たとき、その色の際立つところ以外は、仕上げを途中でやめてしまったかのようなところがあって驚いた。
あの煌々と灯りのともるカフェの向かいの建物は、カンヴァスが地のままのぞいているところもあったのだ。描きたいものがたくさんあったゴッホだから、よほど気がせいていたのだろう。



対象物を、光を緻密に見るフェルメールが、急いでいたとは思えない。描いている途中で、あの映画のようにモデルがいなくなってしまったのかもしれない。
モデルがいなくなれば困りそうなものだが、フェルメールは困らなかったのだろうか?モデルなしでも作品としてしまう、この絵の存在価値は、フェルメールにとって何だろう?


2作目の存在

同じ構図の少女の肖像画が、この作品から数年後に描かれている。
その際、手元にあったこの作品を、顧客に見本として見せたことは想像に難くない。

フェルメールは寡作であり、手間のかかる作品製作より、もっと量産を姑たちから望まれていた。
緻密に背景を描き込むような作品より、ハルスのように、ささっと顔をアップに描ける画家としての注文も取ろうとしていたのではないだろうか?


まとめ
この「青いターバンの少女」は、依頼を受けたものではない、習作、見本である。
大量生産のできる構図、背景の省略を狙った習作である。
こんな面白いコスプレで、ハルス以上に鮮やかな色彩で描くことができることを見せるための、見本である。
従って、依頼品でもないのでモデルに意味はない。
だが、画家としてのフェルメールの、描きたい物を描いた、当時としては珍しい大胆な野心作である。


蛇 足
そこで、あの映画の、使用人の娘とフェルメールの関係の推測が秀逸になってくるのだ。



あの娘の示唆で、制作中の作品の構図、色使いに、今までにないものが生まれたことを実感したフェルメール。
その関係は、貴重なラピスラズリを磨らせるほどに濃密になっていく。画家として、感性が澄んでいく。
しかし常識人たる家長の振る舞いを求める姑、嫁。彼女らにとって、絵画は芸術ではなく、売買の対象たる職人による工芸品である。
おそらくは、この娘は追い出されるだろう。それを予見したフェルメールは、かねて試してみたかった構図、色彩の習作を、彼女をモデルに描くことに決めた。
ラピスラズリは、彼女ゆかりの色でもある。
若い娘との距離の近さを恐れた姑たちによって、彼女は作品の完成を見ることなく、暇をだされる。
そしてフェルメールは、以後、職人としての制作、家業の担い手(金貸しの取り立て)としての働きに、埋もれていったのだろう。

  

Posted by 伊達直人 at 22:28Comments(0)旅行

2013年02月10日

そうだ、絵を見に行こう

神戸フェルメールツアー

ここしばらく、正月明けに旅行に行っていなかったが、久しぶりに出かける気になった。

僕は「青いターバンの少女」が好きである。
どうも日本人好みの構図、マンガ・アニメに毒されている我々の感性にすっとしみいるものがある。
それがなんと、日本にやってくるとは。

ビッグネームの展覧会は何でも混んでしまう東京を避けて、神戸で見ることにした。三宮の神戸市立博物館。神戸は初めてなので、ホテルも三宮にして3泊の長逗留だ。



会期末でも年明けなら、混むまい、と高をくくって行ってみると、なんと外に大行列。それはチケットを求める列らしく、前日にネットでプリントアウトして入手していたことに一安心。
それでも、常設展示をぐるりと迂回させられ、3階の展示室に至るまで30分。



そして、展示室では幾分ゆったりと絵を眺められたのだが、「青いターバンの少女」の前には、なぜか築地市場の寿司屋のように、とぐろを巻いた巡回路が設けられている。そこに並ぶと間近で見られるのだが、立ち止まることはゆるされないのだという。上野パンダ方式だ。
そんなことなら、と少し後ろから立ち止まって眺めた。

絵の件は別記しよう。

1日目はこれで終了。夕食は、せっかくの瀬戸内の海の幸を求めて、駅前のミント8階のうおまんへ。結局、毎晩来てしまった。



2日目、姫路城へレンタカーで。
制限速度60kmという低速の指定は初めてだ。北海道人の感覚で走る。



当日朝は寒く、堀が結氷していた。


すっぽりと覆われた天守閣だが、エレベーターで最上階を外側から眺められるのは今しかない。これはこれで堪能だ。

昼食は、桜門前の土産物屋の一角の、こちら高田の馬場で。2階からはお城の眺めがいいので、おすすめ。



午後は灘の酒蔵に。くだりものの本場を見ねば。



「沢の鶴」の前の路地には、桶が満載。そうか、桶職人、業者も関わるよなあ。

夕食は、うおまんに行った後、なんとなく物足りなく、水軍料理つねさ神楽 三ノ宮店と腹を満たし、最後にバー アマーヴェルで締めたのだった。



3日目。うー。さすがに胃に来た。
午前中は北野坂、異人館あたりを軽く流すうちに腹もこなれてきたので、生田神社近辺でステーキを摂ることにする。

予約がなくてもさっと入れたのはこちら、神戸牛ステーキishida.本店。この日は軽めの肉にしたが、いい雰囲気なので翌日も訪れる。
午後はポートタワーやカワサキワールドを見てすごす。

4日目。
港内遊覧船が良さそうなので、三宮神社や大丸をぶらぶらしながら、中突堤まで行って乗ってみた。
なるほど、建造中の潜水艦、タンカーが間近で見られる。もう、大興奮。
中華街を経由して、ステーキに向かったが、南京町の誘惑に負けそうになる。月餅だけでなんとか済ませて、ずどんと最後の神戸牛を堪能した。

なるほど、遊び歩くには、神戸はいいところですね.


  

Posted by 伊達直人 at 21:46Comments(2)旅行

2013年01月26日

たがいま夕張マウントレースイ

先週あたりから、修学旅行生が増えてきました。



昨日は湿った雪だったので、硬いバーンです。  

Posted by 伊達直人 at 10:11Comments(0)フィールド

2013年01月14日

ネットでチューンナップ

スキーのチューンナップ

道具は手入れが必須だが、スキーもまた然り。
ネットを介してのチューンナップを考えて、あちこち探したが、今回もまた、11月になるとぐんと勉強価格に下げた楽天市場内の某-sportsに発注した。
以前は送料はかからなかったが、今回は¥1,500。本体は¥3,980 と格安。安いだけに、問題はあるのだが。

このメーカーの仕組みは、元払い伝票つきの段ボール箱が送られてくるので、そこにスキーを梱包して送ると、終わり次第また手元に送られてくるという仕組み。

今回、オガサカの185cmの板を入れようとしたところ、箱に収まらなかった。以前は入ったはずだ。



レビューを見ると、「箱が大きすぎてもったいない」という一言がすごく多い。僕も、以前はちらっと思った。
しかし考えてみるに、子ども用や最近の短いスキーにはそうかもしれないが、発注する側のスキーのサイズは多様で、いちいちそれにあったサイズの箱をそろえるよりも、1サイズでさっさと発送業務を済ませた方が、管理上は楽なはずである。
今回のサイズダウンは、そんなレビューの多さに負けたのだろう。

“この箱で、この梱包材で”送るようにと現場での均一管理のしやすさからくどく念押しされているのだが、しかし板が入らないのである。ページを見ても、そうした場合の対処は記載されていない。メールで問い合わせるしかない。
なんと“箱を付け足して”という解決方法だった。



幸い、手近にあった飲料水の箱がぴったりだったのでそれほど手間ではなかったが、場合によってはすごい手間である。なぜそれをどこにも告知していないのか?その手間分、ディスカウントされないのか?

バックカントリー、サイドカントリースキーへと板の長さが再び長めになってきている昨今、箱のサイズは200cm級も必要ではないかと思う。

さて チューンの仕上がり具合だが、ストラクチャーは機械に任せるしかないのだが、相変わらずトップの刻みが甘い。
エッジはちょっと甘いかな、と感じたが、一度乗って防錆剤が落ちると、鋭さがはっきりわかった。文句なし。
浅いソールの傷なら、そこそこ埋めてくれるのもサービス内というのが一番いい。滑走性が蘇る。
時間をおいて2本出したのだが、先に出した方はワックスなしで戻ってきたが、箱の細工のため後から出したオガサカにはワックスがかかっていた。ワックス掛けの前に拭き取ろうとしてわかったことだ。統一されていなかったのだろうか。

以前よりはソールの仕上げが良くなっていたが、以前の方がエッジの鋭さがあった。
それでも、チューンはやはりするべきだし、近所にチューンナップ屋がないと、発送や持ち込みなど大変面倒なものである。それを考えると、とても便利なチューンの発注のシステムである。
1級までの方にお勧め。


  

Posted by 伊達直人 at 14:25Comments(0)スキー

2013年01月13日

ケーキ作り

ガトーショコラ

決して料理が趣味というわけではないが、何でも一通りは作れるようになっておきたいと思っている。

お菓子も、このところ必要に迫られていくつか、本を見ながら作っている。

今回は、卵を使わないケーキが必要になり、ガトーショコラを作ってみた。



ベーキングパウダーだけでケーキ部分を膨らませ立ち上げていくのだが、分量が足りなかったのか、イマイチの膨らみ。
僕としては、堅めのガトーショコラが好みだが、チョコレートを混ぜるような作りではなく、ただココアパウダーを入れただけなので、味もイマイチ。
ハーシーズのホイップを塗りたくって、お茶を濁したのだった。

お菓子作りは難しい。手順や分量が、変化に満たなければ全くできない、シビアな製作物である。
  

Posted by 伊達直人 at 10:39Comments(0)料理

2012年12月01日

積丹の宿

御宿 かさい

積丹の秋は、アワビのシーズン。じゃんじゃん食べちゃうからなっ、と鼻息荒く遊び呆けに出かける。

突然思いついて直前に予約を入れても、なんとかなるのがこちら「お宿 かさい」。
かつてはユースホステルだったそうで、部屋数は十分ある。
この地域の宴会御用達のようで、大広間が週末によく使われている。

こちらの料理は一手間かけられた物で、うまい…と唸ってしまうものばかりで、気に入っている。
器の種類も多彩で、こんな色彩の器にこの料理を盛るのか…と見入ることもある。







夏にはウニのコースがあって、蒸したり焼いたりそれもすごいのだが、秋冬の人の少ない頃、こちらで食べるアワビもいいものである。
アンコウやブリなど、秋の魚介もいいのだ。

ミシュラン二つ星の「美国観光ハウス」もいいが、こちらの食事もひけをとらない。僕は両方の宿を順に訪れて、積丹の味覚を楽しんでいる。


おやど かさい

TEL 0135-44-2610
〒046-0201 積丹郡積丹町大字美国町字船澗105

  

Posted by 伊達直人 at 15:33Comments(2)旅行

2012年10月17日

ああ、これで今シーズンは終わりか

遊び呆けた後には、仕事がたまっているのだった。仕事を持ち帰る僕は、あれやこれやがようやく一段落。
10月の連休にも再び積丹へと遊びに出かけたのだったが、まずは9月最後のキャンプ。


美国小泊海岸

検索のキーワードで、今年コンスタントにアクセスがあるキャンプ地。海キャンなんて誰もしたがらないし、そんな一夏の話題など、敢えて記録化する物好きもいないからか。



いつものように午前中に到着、設営。風が強くなく、今回はテントの入り口を、より海に向けることができた。
一休みする間もなく、流木を集めに浜へと降りて5,6回往復する。結構太い物も寄っていて燃やし甲斐がある。
できるだけ浜を広く開けておこうと、定期的に流木が片付けられている形跡がある。処分しづらい大物は切ったりして、僕なりに減量の手助けしたいと思っている。
ちょっと調べたところでは、毎年6月末、伊藤園の社員がボランティアで、浜の清掃を行っているそうだ。道理で7月は危険な金属がなくなっていたわけだ。

あちこちに焚き火の跡が有り、石積みが残っている。ごつごつした石はアンカー替わりに使い、たくさん集めてテント前に半円の炉を作った。乾いた流木を燃やすなら、炉は、四方を囲まずとも三方で十分だと思う。

昼食は、ふじ鮨へ。
連休というわけではないのに、えらく混んでいる。ま、カウンターに一人で座るので影響は少ないが、やはり注文から出てくるまで時間がかかる。



ブリのお造り。マグロほど血なまぐさくないブリは、好ましい。



まだ地物のアワビではないので、天ぷらでアワビをいただく。

締めに握りをいくつか。もちろん酒は飲んでいる。冷酒でとろりと始め、ビールで締めた。



9月末とは思えぬ暑さ。カヤックのクラブも多数設営中だし、結局じわじわとテントは増え続けたのだった。



またしても昼寝はできず。小型のテントでは、日の光を遮ることが不十分で、木陰がないと風が通り温度が下がる暇もない。



薄暗くなるのが早くなってきた。やはり9月。
夜は、「冨久寿司」→「喫茶うめもと」→「平八」と回ろうと思い、テントを出る。



まずはお造りから。ここでは、早い時間から摘んでいたことがなかったので、どんなふうな物か見たことがなかった。



ネタは割と小さめに切られている。ホタテは四等分にまでされているのだが、ちびちびと酒の肴にするのに、この小さめサイズというのは非常に馴染む。大振りなネタだとすぐになくなってしまうし、舌を洗うように酒の進みが早くなる。

僕の後から入店した若い客を見てちょっと驚いたのだが、川の駐車スペースの近くで、陸側を向いてテントを張っていた一人の男だった。テント泊が好きなわけではないように見えたが、寿司屋に来るためにテントをはっていたようだ。しかもかなりの頻度で来ているらしい。
今まで見かけたことがなかったから、最近、このロケーションの便利さに気づいたのだろう。美国にテントを張ると、旨い物を飲んだくれるにはいいんだよ。

アワビの刺し身も追加し、締めに握りをいくつか。
その客は長居しそうなので、つぎへ。

さっと数杯、腹もこなれた頃合いに平八へ。

新店舗が新築中であり、この冬からは一つ奥にひっこんだかたちで営業だ。
昼に通りかかると、ちょうど女将さんが入り口を入っていくところだった。





枝豆、ゲソ揚げを持ち帰って、あとは焚き火を見ながらぼーっとすることしかない。

いつものように若干の居眠りに入って、深夜にテント内に引っ込む。

翌朝、結露もなくテントが畳みやすいこと。山からの乾いた風がちょうどよかったのだろう。
テント下に敷いたシートはかなり濡れていた。放射冷却は目に見えぬ所でじわじわと始まっているようだ。

ハイシーズンを終え、キャンプ好きな方ばかりのようで、節度ある距離感の設営、宴会に終始し、結局、静かな海キャンがすごせたのである。めでたしめでたし。

帰りに古平港で、僥倖にもまた漁協祭りに入ることができた。朝食は食堂コーナーでイクラ丼。冷凍物で¥1,000は高いな。お土産に甘エビをたっぷり買って帰った。






  

Posted by 伊達直人 at 03:01Comments(0)キャンプ場

2012年09月22日

Fauer!mache ich.

秋とは思えぬ暑さで、焚き火シカヤルコトガナイ。





  

Posted by 伊達直人 at 16:26Comments(0)キャンプ場

2012年09月22日

Jezt,hier ich bin!

美国ピーカン!

  

Posted by 伊達直人 at 14:31Comments(0)キャンプ場

2012年09月03日

1991年の夏

今回は、あの歴史的大事件の印象が残っている人でないと、へー、で終わるんだが。

このシャツは、モスクワであのクーデターが起きる直前、ぎりぎりソ連時代にお上りさんのように買った物だ。



今も大事にとっているのだが、もう決してロシアでは手に入らないだろうから。
決して、CO-OPではない。CCCPである。
クリント・イーストウッド主演の「ファイヤーフォックス」を見たときは、「なんで生協て書いてあるの?」と話題になった物である。



ロシア語風にいうと、エス・エス・エス・エルである。ソビエト・ソーシャル・...リパブリックとかいうんだろうな。

ソビエト社会主義共和国連邦のものである。

ちなみにルーブル紙幣は、外国人は持ち出し禁止だったため手元には残っていないが、カペイカ硬貨は幾枚か残っている。

さて あの夏、エリツィンが戦車に仁王立ちして騒動を鎮めた後のめまぐるしさと、クレムリンからソ連邦の国旗が降ろされ、ゴルバチョフが幕を引いた演説の姿は、感無量だった。

翌年、空港にはもはや垢抜けない土産ものなどはなくなり、ちょっと洒落た物に様変わりしていたのを見たとき、これが社会主義の終焉か、と実感したものである。

商魂たくましい、庶民の台頭である。
たとえば、ソ連時代の素朴なマトリョーシカと、最近のものを比べると、こうだ。プーチン大統領時代のものである。



ソ連人というのはドイツ人並に鼻持ちならないと感じた瞬間があったが、ロシア人一人ひとりは、素朴で思いやりが有り、いい人だった。風景も似たような物だったからか、北海道人としてのシンパシーは多分に色濃い。もう今じゃ、全然別なんだろうな。

ロシアを僕は愛している。だが、「政治のプロパガンダ」という嫌らしい手法を国家ぐるみでやっていたのもロシアである。
80年代、大きな駅や空港には、こうしたプロパガンダ本が置いてあり、自由に持ち帰れた(そんなもの持ち帰るロシア人はいない)。



レーニンの「4月テーゼ」もあった。
ブレジネフ政権は末期で、民意はもう留めようがなくなってきていた頃の出版物だ。

どうしてこんなにロシア好きかというと、きっと幼児体験が大きい。

冬に家族で帰宅し、ストーブで居間が暖まるまで、母はコートの中に僕を入れて、「ポルシカ・ポーレ」をハミングしてくれたものだ。
歌詞は“緑 もえーるー”と初夏の爽やかな大地の風景なのだが、そのこともあって、僕にはまるで「ドクトル・ジバゴ」のシベリア逃避行にぴったりの躍動感を感じてしまい、冬になるとこの歌を思い出す。



以上、80年代から90年代までの、激変のロシアネタでした。

  

Posted by 伊達直人 at 14:50Comments(4)旅行

2012年09月01日

甘く優しいひととき

麺屋 空

千歳の個性的なラーメン店の一つ。

鶏ダシのすっきりとした旨さ、甘さを味わいたくなったらここにくる。

昼時には、店舗前の駐車スペースはびっしりになるが、まあ、なんとかなる。
大きな幹線通りからすぐだし、人気なのはライス無料サービスだろう。自家製らしい食べられるラー油がついてきて、結構旨い。

店内はゆったりと広く、小上がりも大人6人くらい大丈夫。子どものためのイスやおもちゃも完備で飽きさせない。
サービスがよく、子ども連れだと何も言わなくても小さな器、スプーン、フォークが出てくるので、ファミリーがくつろげるラーメン店として、千歳でトップだろう。



スープはうっすら白濁したもので、さらりとした舌ざわりと喉ごし。この微妙な甘さが好きで、ここでは塩か醤油を頼むことが多い。
茹で加減のほどよい中細麺は、もちっとした歯触り。かん水臭くなく、スープとの絡みがいい。

大振りなチャーシューはいいけど、温かいものだったら、という話を耳にするが、溶け出す肉の脂とスープとの馴染みが今一つで、このチャーシューに落ち着いているのではないだろうか。
油脂少なめの柔らかい味わいの一杯には、あまり獣脂が混じらないようにしたかったのではないだろうか。

さて 金曜日にこの店は「麺屋 海」という暖簾がかかる。
金曜日はタイだしのスープになるのだ。
以前、金曜日だ!と入店したところ、ちょうど祝日と重なっていて市場のない日で、アラを入手できなかったので「海」ではない、ということがあった。当日スープの仕込みか。
その味は、やはりさっぱりとした味わいで個性的。実験的な一杯を提供する日としているのだろう。以前は柚胡椒も付けられてきて、海鮮だしとの馴染みがよかった。
最近はまた味が変わっているが、今一つ厚みがない。何かクセになるアクセントが欲しいところだ。

たまに「調味料少なめで」と注文することがある。応じてくれるのも偉い。本当はあまり使いたくないんじゃないのかな、という気がしたので言ってみたのだが応じてくれた。
明らかに少なくて、甘くマイルドな味になるので僕は好きだ。小便の色に出る化学物質の色も半分の薄さになっているから、なるほどアクセント程度なのだろう。子どもに食べさせるなら、お試しを。

マンガを置いてくれてるのもいい。「修羅の-」シリーズ久しぶりに読んだな。マンガを見ながらだらだらと食べるという、ゆるゆるなひとときを過ごしたいときに、ラーメン店に入りたくなるということもあるので、そうした、個人をほっといてくれる快適性をもとめるときにも、こちらの空間は居心地がいい。
いいんだよ、ここはこれで。

麺屋 空 ( 千歳(北海道) / ラーメン全般 )
★★★★4.0
supported by ロケタッチグルメ



めんやそら
電話 0123-42-3340
北海道千歳市北栄2丁目31-7
不定休 営業時間 11:00 - 21:00
  

Posted by 伊達直人 at 04:17Comments(0)essen

2012年08月19日

やれやれだぜ...

みすてないでーッ ヒィィィィィ 孤独だよーっ

...とでも、キャンプに来ても顕在化してしまうものなのだろうか、と思わざるを得ないことが多い。

広いキャンプ場で、わざわざすぐ隣り、会話が漏れ聞こえて鬱陶しいだろうなという至近距離にテントを張るケースとか。

6月の積丹で、駐車場でこんなことがあった。



まわりに車は1台もない。広い広い駐車場。なのに、べったり横付けして駐められた。

なぜ?どうしてそんな発想をするのか理解できない。

ばーんとドアをあけて、がさがさと荷物を持って、差し障りなく歩き回りたくはないのか?
なぜ、隣の車を気にしなければならず、行動に制限がかかるような、駐車の場所を選ぶのか?

この後、僕は車のドアを開けることにすごく障りを感じて、いなくなるまで近づかなかった。
ポルシェのドアはふにゃーっと全開に開いてしまうので、隣の車にすぐに触れてしまいそうになるため、半開の状態で留めるのは、意識的な作業なのだから。
そんなことを、わざわざ後から来た他人に強いられたくはない。

がーんとドアをぶつけてもよかったかな。鉄板1mmの質量は強靱なんだぞ。

こういうことをする人は、根本的に自由をわかっていないのだ思う。
不自由な生活を無自覚に送ることに鈍磨し、もはや自由への希求はないのだろう。
自由に振る舞っているつもりかもしれないが、他人の自由も侵すということに対しても、鈍感になっているのだろう。

そういえば以前、十勝エコロジーパークでも、似たような光景、似たような事件があった。

フリーサイトで“集落”から離れて焚き火場の前にテントを張っていた。
夜に焚き火をしていると、幼児を抱いた人、子どもの手をひいた人たちが、黙って焚き火に近づいてきた。
「焚き火だね―、燃えてるんだよ―」などと口にしながら。その焚き火を行っている僕には一言も何も口にしない。
他人の自由に踏み込んでしまっていても、一顧だにしない。それは、自分たちの世界で完結しているから。子どもに焚き火を見せ、そうした日常ではない、キャンプならではの経験ができたことで、彼らの世界は幸福感に包まれているのだから、完結である。
「おまえ、何なんだ!?」と距離を越えられた僕の意識は、問題として感知されていない。
広い広いフリーサイトで、ガイロープがくっつきあうすれすれの距離で並んで張られたテント集落から、焚き火を訪れる人々には、僕の自由は全く尊重されないのだった。

僕は広い空間で屹立する自由を謳歌したい。そのためには、他人の自由も尊重しよう。お互いの自由を侵さないように。
  

Posted by 伊達直人 at 08:31Comments(5)キャンプ場

2012年08月15日

リコピン豊富な新種

大きく家庭菜園を楽しむ叔母夫婦から、調理用トマト なるものをいただいた。



サイズ比較のナイフは、敬愛する燕三条にちなみ、グローバルナイフのペティナイフ。微妙な湾曲が研ぎづらいのだが、重さのバランスがよく、手の中にしっくり収まる。

ミディアムサイズのトマト。加熱調理用に品種改良されたものらしく、生食ではあまり旨味がないらしい。
しかし炒めるなり調理すると、色は鮮やかだし、あまりべたっとはせず、何よりリコピンなどのトマトならではの栄養素があまり壊れないのだそうだ。全く加熱調理向きの品種である。

僕は全く知らなかったのだが、最近市場に回るようになったものだそうだ。

早速、旬のイカと絡めて作ってみた。
トマトは湯むきして3個、イカは2杯。ついでに旬のオクラは2本。
イカ等を先に炒めて、トマトは最後に入れた。パプリカ、ケチャップ、ハチミツで軽くアクセントをつけて、あまり煮込まないでおく。



おお、爽やかな酸味が残り、べちゃっとせず好ましい。なるほど加熱向き。

また来年も、いただきたいな。
  

Posted by 伊達直人 at 17:38Comments(0)料理

2012年08月09日

港町は揚げ物好き

飲み喰い処 平八


先月の美国の海キャンプで、夕食はいつものこちら平八で。

多彩なメニューで、気まぐれにずんと食べ応えのある物を頼みたくなったときや、小グループで銘々勝手に注文するにしても、十分に応えてくれる。

今回は、ウニは当然ぺろりと食べたが、カルパッチョや焼き物など、一手間かけた物をいただく。
いつも持ち帰りばかりだったザンギ煮込み。



初めて店で食べたのだが、ほくほくで旨い。汁はしょっぱすぎず、酒の肴に合うちょうどいい塩梅。これは食が進む逸品。

もう一つ初めて、座敷に上がり、床の間を前に座ることが出来た。いやあ、いつもすみません。日本家屋に暮らした経験のない僕には、欄間の雰囲気とか、非日常的でほっとするような刺激的なような、旅に来たなあ、という思いにさせられる。
しかし残念なことに、耐震性に難があり、この秋には新店舗に移るということだ。この古い商家を使い続けられないのは残念だが、使える部材は再利用できたらいいな。
新店舗なら、動線がスムーズになり、これまで以上にサービスも味も向上することだろう。楽しみでもある。

飲み食い処平八 ( / 居酒屋 )
★★★★4.0
supported by ロケタッチグルメ


  

Posted by 伊達直人 at 18:23Comments(0)essen

2012年08月06日

多国籍軍

木下サーカス 札幌公演

自由席タダ券があったもので、今日なら空いているかと行ってみたら、そんなことはないのだった。



11時開演なので、9時半なら余裕で車は駐車場に入れられるだろうと行ったのだが、確かに駐車スペース(¥500)は十分あったのだが、すでに並んでいる人の列が700人くらい。

あー、飲み物もってくればよかったなあ、と名古屋の万博で炎天下入場前にのろのろと列を為したことを思い出す。

10時半ころから入場が始まり、場内に入ったときにはあらかた席は埋まっていた。柱の陰の見づらい席が空いていたのみだ。

子どもの頃にモスクワで見て以来なので、日本のサーカスに興味津々である。
中心のスペースは、直径12mほど。意外に狭い。しかしライトやワイヤーがたくさん据えられ、照明きらめく空中戦が見られそうなことは予想に難くない。

果たしてその通りの、海外で見られるような最新サーカスの演技の数々で開演。

よく見ると、ロシア人ぽい人々だらけ。音楽も、スラブ的憂鬱を奏でる東方的BGM。ここまで出稼ぎに来るほど、ロシア人のサーカス技術は未だに断トツなのだろう。

かつては、モスクワにサーカス学校があったということだったが、今でも養成所はあるのだろうか?体操をやっていたような人々のアスレチックな技も見られる。

驚いたことに、出演する動物がすごい。当然ながら、その調教師、猛獣使いもロシア人ぽいのだが、そこまで飼い慣らすテクニックに驚嘆する。
シマウマ4頭、キリン1頭、ライオン8頭!怪しい非日常的サーカス的空間になったではないか。
ゾウ2頭は、やはりタイ人の受け持ちであったが、これほど多国籍な人々、演目が並ぶとは凄まじい。サーカスの元祖・世界帝国ローマのコロシアムも、そんな異国情緒にあふれたのだろう。

こんな動物を間近に見られるなら、キリンによだれを降りかけられようと、断然リングサイド指定席でみるべきだ。

休憩をはさんで、固唾を呑むライオン、空中ブランコの大スペクタクルで終了。大興奮である。  

Posted by 伊達直人 at 18:15Comments(2)旅行

2012年08月02日

今季2度目の美国小泊海岸

積丹町のウニ漁期間は8月一杯まで。毎月来たいのだが、と7月のキャンプに行ってきた。天気も気温も十分。

まだ気温が安定しない時期だったせいもあり、本格的な海水浴シーズンにはまだ入っていないようで、小泊海岸は比較的空いている。
午前11時の到着で、人の入れ替えが済んでからテントを張ろうと、まずはいつもの「ふじ鮨」でウニ丼やらを食べてきた。

ふう、と「神威鶴」でいい気分になりながら、テントや大物荷物を掴んで場所の選定。相変わらず埃っぽい地面なので、あまり歩きたくもなく、隣のテント、トイレとは程よく微妙な距離をとって設営。ロープ類は好きなだけ伸ばして張る。が、砂の多いところではペグが効かない。たくさん転がっている石にロープを回して固定したところが2本。

みごとにファミリーキャンプの光景。若者の海キャンの景色。
隣は、会社の海キャンらしく、夕方には発電機が回り出した。まいったなー、どうしようかと思っていると、炊飯器でご飯が炊きあがると止められた。ランタンもそこそこ揃っているようで、夜通し発電機を回すことにはならず、良かった良かった。

浜は清掃されたようで、錆びた釘やワイヤーは見事に撤去、回収されている。流木もほとんどなし。もうこれで、幼児児童を遊ばせるのも一安心だ。

しかし波打ち際は、急にえぐれて結構な深さ。幼児が一人でパチャパチャするには、勾配がきつい。大人でも、歩くには相当な角度を感じるので、二人でしっとり歩くのは無理があるだろう。

ちょうど美国神社祭礼の楽隊の若者達の打ち上げが行われていた。浜の隅の方で行われていて、観光客への配慮を感じる。さすがハリマ隊長。

いつものように「平八」で夕食後、あちこちで花火の時間帯。わざわざトイレ前の歩道で爆竹を鳴らしていたバカファミリーの他は、至って静かなファミリーキャンプ場。おしゃべりを楽しみたいグループは、わざわざ堤防の方に離れて設営する気配り。

流木処理も兼ねて、僕も静かに焚き火をしたのだった。



翌朝、起き出すのが遅いのがファミリーキャンプの特徴だが、宴会がなかったため、どこのテントも割と早めに動き出していた。
みごとに、グリーンとベージュの凍男色に彩られた浜である。凍男はやっぱりコストパフォーマンス高いよな。どこでも扱っているから、ガスやマントルがすぐに補充できるし、安心だ。



さっさと撤収して、朝食はまたしても、古平の漁協祭りでウニ丼で締めたのであった。今回もウニ三昧。  

Posted by 伊達直人 at 15:42Comments(0)キャンプ場

2012年07月19日

ウニとイタドリ

積丹町 美国小泊海岸
先月のウニ三昧旅行では、イタドリとウニの深い関係を聞くことが出来た。

美国小泊海岸には、もともとイタドリがびっしりと生えている。
ちなみに、虎杖浜は文字通りイタドリの群生地であり、スズランといいイタドリといい、北海道では砂浜に思いもかけない植物が自生しているものである。



先に「ふじ鮨」でイタドリを食べる習慣があるか、板前さん達に尋ねたところ、誰もが苦笑して首を横に振るばかりだったのだが、藤元氏が面白い話を教えてくれたのだった。
「港に、養殖場があって、そこでウニの小さいの育てるのに、イタドリの葉を食べさせてたんだよ。固いところはきれいに残して、柔らかいところだけ食べてたもんさ。」

ウニはイタドリの葉を食べるのか。
港に残る巨大な施設が、かつては稚貝やらを育てる養殖場で、そこでそんなことがあったとは。


という話を夜に「平八」でしてみたところ、「学校で山に採りに行きましたよ」という歴史があったらしい。漁師さんたちは忙しいし、保護者は大半が漁業関係者なら地域に協力するのはやぶさかでないし、何より人件費がタダなら、動員されるか。葉を採るだけなら、児童でも危険はない。

しかし、気づいた頃には既に閉鎖されていた養殖場。「アワビの稚貝も養殖していたんですけど、盗難がひどくて、損害が大きかったらしいですよ。」というやられ放題に懲りて幕を下ろしたそうな。

学校でイタドリを採りに行っていたという話だが、日高地方では逆に、早朝の昆布漁に学校の教員が駆り出されていたという噂があったなあ。
昆布漁は夏のごく短い期間に行われるため、大忙しで子どもが学校を休むくらい人手が足りなかったから、地域の助っ人として教員も手伝っていた、ということがあったとかないとか。

ま、真偽は不明なので、あまり詳しくは触れず、あくまでも昔の噂、ということにしておく。  

Posted by 伊達直人 at 21:16Comments(0)フィールド